#078 まぼろしの市街戦 2011.05.02.MON


■いまや抜群の知名度を誇るフイギュアスケートだからして、これで充分に通じるのは理解できる。理解できるのだが、試みに一度、フイギュアを忘れてまっさらな心で次のコピーを読んでみて下さい。

女子フリー!今夜!!

宇宙一余計なお世話だこの野郎。

■また間があいてしまった。結局四月は一度もこのブログを更新できなかった。毎日100人単位の人々が訪れては帰ってしまっていたようだ。申し訳ない。そして勿体無いことである。日々、ちょっとずつ訪れる人が減ってゆくのをただ数字の上で眺めているのは哀しいことだ。商売人なら失格だが、私は商売人ではないので仕方がない。この一月、ちょっと多忙で、モノを考える余裕が無かった。そのくせ本は結構読んでいるし、映画も芝居も観ている。ただ、人に会っていない。人に会ってとりとめも無い話をしていなくては、思考が出来ない。やっとここ数日、知人と飲みにいったり、次の芝居のフライヤーの打ち合わせ、と称したダベリ飲みをしたりして快復しつつあるのでまたポツリポツリと書く。アウトプットしながらで無くてはインプットが完了しない、そんな難儀な性分である。

■そんなわけでハナシはやや古くなってしまうのですが。丁度前回のエントリを更新した翌日、次のような発言を、ネットやツイッターで多くみかけたのだった。それは原発関連で、現地付近から出荷される牛乳に放射能が混じっている、という報道を受けての何人かの人々の反応であり、気になったのは、主にこの件での健康被害を否定する発言であった。曰く、『人体に影響が出るレベルにまで達するのは、数値的に約三トンの分量を摂取した場合のこと。一日一杯(200ミリリットル)必ず牛乳を飲んでいても、一万五千日、41年かかる。2日に一杯なら82年、3日に一杯なら123年。直ちに健康に問題が出るレベルとは到底言えない。風評被害であろう』と。ある人物のツイートには『どんだけ長生きするつもりだよwww』というものさえあった。

■さて、知る人は知っているのだが、私は牛乳を一日に最低1リットル以上、必ず飲む人間である。少なくともここ二十年間で週に平均6リットル以下ということは無かったハズだ。長い間、私はこれは取り立てて特別なことではないと思ってきたが、他人に言わせればなかなかクレイジーなことらしい。そんな私にとって3トンという量は、8年ちょっとでクリアしてしまう数字である。充分、健康について考えなくてはならない数字だ。

■何が言いたいのかといえば、これこそが前回のエントリでも触れた『見えない人間が生まれる構図』である、ということだ。「人間、一生で3トンも牛乳飲むかよ」という人間には、まさか一日一リットルの牛乳を飲む人間がいるなどということは想像も出来ないことなのである。しかし、実在する。10年足らずで3トンもの牛乳を消費してしまう人間はここに実在するのだ。実際には存在するにも関わらず、自分の想像力の外にいるヒトをヒトは認識できないのである。仮にこのような人物が実在するのですよ、と言ったところでそれはごく少数の例外的な存在ということで黙殺される。全体から見れば些細なイレギュラーとして排除される。実際、上記のような書き込みをしていた人の何人かに、『私は一日一リットルの牛乳を飲むものですが』とリプライをしてみたところ、ほぼ例外なく黙殺、或いはブロックされてしまった。そういうモノである。このようにして、今も『目に見えないけれど実在する人々の国』は人口増加を続けているというワケだ。

■今回の件ではたまたま私が「他人の目に見えない」人間になってしまったが、多くの場合、私自身も世間に加担して想像力の外に人々を迫害している加担者である、ということも、勿論忘れてはならない。問題は、ヒトはそれを無自覚に、或いは善意からも行うのだ、という点にある。ところで誤解してはならないのだが、これは、だから牛乳飲むなとかそういう形而下のハナシではない。自分自身の偏狭な想像力のみを世界の根拠に置くヒトビトの暴力性についての話である。私は今も毎日、1リットル以上の牛乳を飲み続けている。私ほど牛乳を深く愛している人間もそうはおるまいという自負もある。ただ震災直後にスーパーでいつもどおりの分量、牛乳を購入しようとしたが、フと買占め野朗と思われるかも、とラックに戻した日和見くんであることは否定しない。

■日本の古本屋で89年の「しんげき」を見つけて購入する。めあては川村毅の戯曲「ボディ・ウォーズ」。書籍化されていない戯曲でしばらく探していた。第三エロチカが方向性を大きく変えてゆく直前。最盛期と衰退のはじまりとが同時にある時期。89年という時代を考えて読んだ。期待通り、じっくりと面白いホンだった。しかし80年代の「しんげき」は私にとっては宝の山だ。読みたい戯曲が毎号載っている。気づけば既に半分くらいは手元にある。コレクターではないのだけれど、本になっていない戯曲を読むためには必要なのだ無論、趣味として。しかしこういうもの(未書籍の戯曲)こそデータ化して売ればいいのにな、と思う。80年代の戯曲は、今の芝居の戯曲とは、あらゆる意味で異質である。学ぶべきことも、慎重になるべき部分も、ふんだんにある。

■風の強かった、五月のはじまり。早朝、電車の中で部活の試合にでもいくのであろう中学生の群れからこんなコトバが聞こえてきた。

『こんだけ風強いとぜってえ俺の見てないところでパンチラ起こってて、それが許せんわー!!パンチラだけは取りこぼしたくねえわー!!一生でどんだけのパンチラ損してんのかって考えるわー!!』

大丈夫。世界はお前のモノだよ。

■また、少しずつ更新していきます。もうホンのちょっとしたら、次回公演のことも書けるようになるでしょう。不本意ながらほったらかしのウェブサイトの方も、ぼちぼち更新する予定です。よろしければ、お付き合い下さい。

小野寺邦彦