#077 アルストロメリア・ケイデンスのころ 2011.03.20.SUN


■渋谷駅構内に貼り出されているお店の広告。渋谷の東急に店を構えておきながら『かくれ家』とはどういうことだ。貴様ら本気で隠れるつもりがあるのか。さては遊びだな?

■大震災から一週間。それにしても地面があれほど揺れるものだとは。このままもう二度と地面が静止することはないのではないかとすら思った。確実に死を意識した。間違いなくこれまでの人生で最も長い三分間であった。未知こそは恐怖だ。生活とは詰まるところ慣れである。二十数年も生きてしまって、まだ未知の体験がある。それこそが恐怖である。その恐怖の薄皮一枚上の場所で、今は生活をしている。

■芝居を始めたばかりの頃、酷評ばかりのアンケートの中で一枚、「ジェットコースターを凌ぐ構成力」という最大の賛辞を頂いたものがあった。当時は素直にわーいと喜んだものだが・・・。ジェットコースターの恐怖とはまさしく構成されたものであり、つまり既知のそれである。ありていに言って、つくりものである。であるからこそ、安心してその恐怖に身を預けることが出来るのだ。未知の恐怖とは、それとは全く性質が異なるものである。それはすなわち暴力と呼ばれる力に等しい。芝居の力は、暴力には及ぶべくもない。どれほど緻密に、巧みに構成された物語でも、所詮はつくりものに過ぎないのであり、理不尽な暴力の前には無力である。・・・本当にそうだろうか。よく分からない。書いていて分からなくなる。考えなくてはいけない。分からないことは、考えなくてはいけない。

■地震発生当初から、NHKで繰り返し流された映像。今まさに押し寄せる津波に、家が、車が、畑が飲み込まれてゆく。その津波の向かうすぐ先に、道路があり、車が走っている。車の移動する速度と津波の迫る速度を見て一目瞭然、手遅れである。あと数十秒で道路は飲み込まれるだろう。しかし、次々と車は走ってくるのだ。逃げるために。生き延びるために。これほど恐ろしい映像を見たことはない。今、死を迎える人間がそこにはいる。理不尽な暴力に晒され、逃れる術のない人間の姿。それをカメラは捉えている。しかし誰にも、どうすることも出来ない。私はライブで見ていた。あの映像は、一生忘れることはないように思う。思い出すと、今も、胸が詰まって息苦しい。

■そして、問題はやはり原発だ。いろんな人がいろんなことを言う。

■2008年に上演した「アルストロメリア・ケイデンス」という芝居は原発をモチーフにしたものだった。きっかけは、2007年末頃に、ノンフィクションライターの大泉実成さんの記事をWEB上で読んだことにある(ごく簡単には、こちら→ )。1999年、茨城県東海村で起こったJCO臨界事故で、大泉さんの両親が被爆。そのことから、大泉さんは被害者の会の事務局長を勤めることになり、理不尽な対応を繰り返すJCOと国とを相手に戦いを始める。事故発生当時、大泉さんの母親はJOCから120メートルの場所で仕事をしていて被曝。以下は「茨城からの訴え」からの引用です。

その日の夜中から口内炎ができ、激しい下痢を起こし、そして翌日からも倦怠感で何もやる気が起きないという状態になりました。それからそのあとJCOの近くに行くと筋硬直が起こる。あるいは「JCO」とか「被曝」という言葉を聞くと心臓がどきどきしたりすると。まあJCOの近くに行くことができないということで、典型的なPTSDの症状だということで、自分の母親の症状はJCOの事故との因果関係が明らかだという診断書を医師が書いて、ぼくらはJCOにそれを見せてその医療補償を求めましたが、結局はゼロ回答でした。全く一銭も払おうとしません。
これはなぜかと言いますと、単純に言いますと当時の科学技術庁-まあ国ですね-が
事故から数ヶ月たってから「原子力損害賠償研究会」という研究会を自分たちの御用弁護士、御用学者を使って作りまして、これも非常に長いものですから端的に言いますと「今回の事故では風評被害はある程度は補償しなさい。健康被害は補償するなよ」という内容の報告書が出てます。で、今年の4月にJCOが出してきた回答の中には、この国の報告書からの回答がじつに8ヶ所ありました。もう完全にこの国のお墨付きの上でJCOは開き直ってしまって、医療補償に関しては完全にその被害が出てるのは分かってるんだけれども補償はしないというふうな態度でした。


■つまり、「臨界事故によって健康を害したという人は存在しない。実際に健康を害していたとしてもデータにはないので存在しない。その存在は認めない。存在しない人間に保障を出すことは不可能である」ということです。でも実際に目の前に健康を害した人間がいるではないか、という問題に対しては「それは気のせいか、若しくはもともとそのような健康を害する因子を持っていたのであって、原発との因果関係はない。もし臨界事故が起こっていなくても、その健康被害は発生していたに違いない」と回答する。被害を訴える人間が目の前にいても、その存在を認めない。データではそのような被害は認められないから、と。だがそのデータは自分たちで作成したものであり、おまけに一般公開されていない。

■私はこの問題に個人的にのめり込んでいった。資料を漁り、取り寄せ、東海村と六ヶ所村には取材と称して一泊二日で出かけてさえいる。まあ、両方ともブラブラ歩いただけで特に何もしてないのですけども。東海村で食べた焼肉弁当はおいしかった・・・。そして当時舞台で連作的に扱っていた『「目には見えないけれど存在する人々」の群像劇』というモチーフにこの問題を当てはめて構成していったのである。

■この場合の「目」とはすなわち世間のことで、コミュニティーと言ってもいい。要するに肉体的に実在していたとしても「いないこと」にされてしまう人々のことだ。典型的ないじめの方法でもありますね。シカト。で、私が妄想したのは、その「いないこと」にされた人々だけが集まって新しいコミュニティーを作る。それは文字通り目に見えない「まぼろしの国家」である。だがやがてその「目に見えない国」の人口が、「目に見える国」の人口を上回ってしまう。その流れの中で「目にみえない国」の中でもシカトされ、「いないこと」にされ、迫害を受ける人々が必ず現れる。その人々が集まってまた新しいコミュニティーを作り・・・その中でもまた迫害される人々がいて・・・。

■少女マンガ家『ビッグバン・光』は某少女雑誌に連載を持っているのだが、アンケート結果によると、何とこの連載の読者数はゼロ人である。100万部を発行する雑誌に連載されていながら、読者の誰一人としてこの連載に気づいてすらいないという奇跡ぶり。ではそれはどんな作品なのかというと。

■主人公は、ごく限られた少女しか持つことを許されない瞳、「アーモンドアイ」を持って生まれた少年アルストロメリア。まあ分かり易い両性具有のメタファーである。その存在の神秘性から彼は時代の寵児、文字通りのスターとなってその一挙手一投足には国中の視線が集まっている。彼の秘密を探ろうと連日マスコミが追う。その中で一部のマスコミが未だ年端もゆかぬ美少年「微熱少年」をアルストロメリアの愛人候補として送り込む。狙いは少年同士の熱愛というスキャンダルの自作自演である。アルストロメリアは微熱少年の美しさに魅かれ、条件つきで彼を受け入れる。その条件とは、まだ男か女か判断もつかぬ程にあどけない微熱少年の絹のすねに、うぶ毛が生えてくるまでの関係・・・。

■決して世間には許されぬ背徳感も手伝って、日増しに熱愛はヒートアップし、二人は大量の汗をかく。その汗を流すために銭湯『入浴してぇ(にゅーよーくしてぃ)』に入る二人。だがそのサウナの中で扉が開かなくなり、二人は閉じ込められてしまう。『入浴してぇ』のエネルギー源は「世界一安全なエネルギー」、すなわち原子力であった。愛し合い、燃え上がる二人の熱愛によって、炉心は天井知らずに加熱され、ついに熱暴走から臨界爆発を引き起こす。その瞬間。

■ニューヨークシティ・・・つまり国の主要都市部での臨界事故という「有り得ない」「起こるはずのない」事態に、それまでアルストロメリアを追っていた国中の「目」が、一斉に彼から逸らされる。「起こるはずのない」ことは「起こらない」のだから、その場所にいる人間も「いるはずはない」のだ。もはや彼を「見る」者はいない。「見られる」ことで存在していたアルストロメリアはその実体を失う。消えてゆく存在となりながら、そのとき、初めてアルストロメリアは世界を「見る」。だがその視線に気づく者はもういない。彼の瞳のアーモンドアイは砕け散って、消える。

■ビッグバン光はそこで筆を置く。原稿を受け取りに担当編集者がやってくるが、実は彼はマンガ家ではなく、臨界事故で消えた街の生き残りで、入院患者なのだと告げる。100万部の雑誌も、アンケートも全ては妄想だった。だがその瞬間、読者から一通のファンレターが届くのである。存在しない人間の描いた存在しない物語にファンレターを書く者とは誰か。言うまでもない、それは存在しない読者である。存在しない物語には、存在しない読者がつくのだ。今は見えない世界の住人となった彼に、それが始めて届いたメッセージであった。アルストロメリアの建国宣言で、舞台は唐突に幕。

■これは書くのに大変苦労し、苦しみぬいた作品であった。いつも遅い遅い私の台本だが、これは特に遅れ、完本は劇場入り前日である。役者に計り知れない負担を強いた。反省しても反省しきれぬことである。ごめんなさい。その割に、お客様には珍しく好評の芝居ではあったが、この作品以降、私は書き方を少し変えた。そして今も、変え続けている。

■ところでこの舞台で少年アルストロメリア役を演じた松田紀子の演技は鬼気迫るものだった。彼女は非常にムラのある役者なのだが、このときばかりはそのムラさえ魅力だった。なぜ彼女がこの芝居のこの役に、あそこまで入れ込んだのか、今も正確なところまでは分からない。

■まだいろいろと混乱している。それが文章を見れば分かる。混乱したときに混乱したままの文章を書いている。そこにしかこのブログの価値はない。

■地震のあった翌日、品川から新宿まで歩いて移動した。棚が空っぽのコンビニ、静まり返った駅ビル、臨時休業のファーストフード店。よく晴れてうららかな土曜の昼である。本来であれば人がごった返すそれらの場所が閑散としているのは、不思議な光景だった。代々木の辺りで、ある一軒のコンビニが開いているように見えたので立ち寄ったのだが、店員が奥に引っ込んだタイミングだったからか、無人であった。店内はほぼ全ての棚がカラッポである。諦めて外に出ようとした瞬間、背後から何かの「音」が聞こえる気がした。フと振り返ってみても勿論、誰もいるはずはない。それはきっと錯覚だった。人のいないコンビニの中に入ったのは、初めてのことだった。

■今日20日で地下鉄サリン事件から16年。リビアでは戦争が始まり、僕はこれから銀座に出かけて、旧い友人と会う。時間は等しく流れている。よく晴れた冬の終わりの昼下がり、ほんの僅かに感じる肌寒さ。風邪を引きかけているのかもしれない。

■長いブログになりました。読んでくれて、どうもありがとう。

小野寺邦彦