#076 余計な生活 2011.03.08.TUE


■道行く少年が『おっぱいの大きい女は嘘つきだ!』と叫んでいた。何があった。

■そこで瞬間的に「ウソをつけばつくほどおっぱいが大きくなる女の子のピノキオ」という考えが浮かんだが、それじゃどんどんウソついて何も悪いことがないので、「ウソをつけばつくほどおっぱいが大きくなり、鼻は低くなってゆく女の子のピノキオ」に修正した。相当出来のいい寓意ではないのかコレは。

■テレビをつけていると、パスコ「超熟」という食パンのCMが流れた。小林聡美が出てきてこんなことを言う。
「余計なものは入れない」

■無駄なものの無い生活。シンプルライフ。からだに余分なものの入っていない食事。全てイヤである。ムダだらけでいい。むしろ、そのムダが欲しいと思う。あなたが要らないからと言ってポイポイと捨てたその「余分」、全て私が拾って回る。

■私の書く芝居はムダなものばかりで出来ている。散漫であるとも言われる。話のスジに関係のないセリフの応酬や、何ら有機的に繋がらないエピソードやあきらかに過剰で余計な情報などで芝居のほとんどが出来ている。それでは余分なものばかりで中身がないではないか、とお叱りになるむきもあろうが、その余分も含めた全てが全体であり中身なのだと考えている。大体、一つの創作物の中から、「必要なもの」と「そうでないもの」を選り分けて考える、という考え方自体が良くわからない。「余計なもの」があるから、それに対応する形で相対的に「必要なもの」が生まれるのであって(無論その逆も)、「必要なものだけがある」などというのは、論理矛盾である。余分なものが存在しないのなら、そもそも「必要」という考え方は生まれないのだから。(禅問答のようになってしまいますが)。つまり、いわばそれらは「必要な余分」だ。

■美男美女しか存在しない世界では美男や美女とという考え方は存在しない。それはただの「普通」だ。「必要なものだけがあればいい」というのは、詰まるところイケメン君やモテコちゃんの思想なのである。ひょっとしたら自分自身が、その「必要ない」余分な存在であるのかも、などとは露とも思っていないのだから。おまえが余分なのだ、といつか指差されるのではないかとビクビクして過ごした(今もそうかもしれないが)私などにとっては、恐るべき傲慢な思考に思える。端的に言ってファシズムである。

■ところで、余分と養分は似ている。どちらも余っているに越した事はない。

■ま、こんなことを言ってしまうと、そもそも芝居なんてものが全く必要のないモノである。生命活動を維持していくにはなくても一向に構わない。でも、だからこそ価値があるのだし、やっていて楽しいのだと思う。<やらなくてもいいことをやっている、なぜなら楽しいから。>苦労して芝居なんぞを続ける理由は、ほかにない。必要のないものが必要なのだ。ミギーだって最終話で言っていた。『心に余裕(ヒマ)がある生物。なんとすばらしい!』

■野田秀樹の戯曲「ゼンダ城の虜」、その冒頭のセリフから。

ぼんぼん もし命すべてなりせば。
無法松  え?
ぼんぼん 無法松。
無法松  へい。
ぼんぼん 人はなぜ生きるんだろう。
無法松  ぼんぼんは何も知らねえな。
ぼんぼん なぜだい。
無法松  息をするから生きるんでさあ。
ぼんぼん 人は息をするためにだけ生きているっていうのかい。
無法松  少なくともおばあちゃんの晩年はそうでした。
ぼんぼん 息を止めるために生きている人間ていないかい。
無法松  いねえでしょ。
ぼんぼん 海に潜った真珠とりの海女は。
無法松  でもあの娘達も、いまわの際には息をするためにだけ生きてるんでさ。
ぼんぼん じゃあ最初から真珠とりや結婚なんかあきらめて、息ばかりしていればいいじゃないか。
無法松  それじゃ人は生きられねえんでさ。
ぼんぼん じゃ、人はなぜ生きるんだろう。
無法松  (嬉しそうに)ぼんぼんは何も知らねえな。
ぼんぼん なぜだい。
無法松  息をするから生きるんでさあ。
ぼんぼん ――。


もっとも、最近の野田の劇作はもっぱら「意味」へと向かっていて、私にはあまり楽しめない。

■春の兆しと真冬の降雪とが一日おきにやってくる、妙な季節である。日差しはあるものの風の冷たかった週末の日中、駅へ向かって歩いていると、向こうから女子高校生の集団がやってきた。卒業式だったのだろう。胸に揃いの花をつけ、大声で笑いあっている。大変なはしゃぎ様である。

「JK!終了!!!」
「ぬおおおおおおお」
「ラブとか何もなかったわwww」
「ざけんな!!」
「JKじゃなくなってこれからどうやって生きていけと」
「月末まで有効じゃね」
「やべえちょっとモテてくるわ」


■「女子高生」というコトバがブランディングされて久しい。男子高校生よりも女子高校生の方が、より「高校生」でなくなる切なさは大きいのかもしれない。笑い転げながらゆっくりゆっくりと歩いてくる彼女たちとすれ違いながら、そんなことを思った。

小野寺邦彦