#074 装丁問答 2011.02.21.MON
■ワイワイキャッキャと、どんなに姦しい女子でもプリクラのシャッターが切られる3カウントだけはキメ顔のまま無言で静止する。その瞬間世界が終わったらどうだろう。どうだろうって言われてもな。
■昨日(20日)の朝日新聞に平出隆先生の記事が出ていた。12面の読書欄「挑む 変化のときに」という連載記事である。内容はvia wwanlutswoについてのもので、まあそれは取り敢えずいいのだけれど、本文中にちょっと気になるところがあった。
自身、ブックデザインも手がけ、造本装丁コンクールで賞を受けたこともある。
という箇所である。この「造本装丁コンクール」とは、日本書籍出版協会および日本印刷産業連合会の主催する「造本装丁コンクール展」のことで、平出先生は2004年、『伊良子清白』自装にて経済産業大臣賞を受賞されている。だから勿論間違いではないのだが、この書き方からは、まるで素人が趣味の俳句でコンテストに応募して一席入賞した、というようなニュアンスを感じてしまう。実態はぜんぜん違う。同賞への出典作品はドイツでの「世界で最も美しい本 ライプチヒ国際コンクール」へも出典されるのだ。つまりは国際レベルの話なのであって、決して作家の余技などという範疇の仕事ではない。記事中にあるような「詩人」「多摩美術大学教授」などという肩書きと共に「装丁家」として並び記されるべきものなのである。例えば芸術家で、かつ芥川賞受賞作家でもあるような人(尾辻克彦/赤瀬川源平や唐十郎など)に対して「文学賞にも入賞したことがある」とは絶対に書かれまい。彼らは「作家」或いは「小説家」として扱われるハズである。つまりはそれが記事筆者(大上朝美氏)の、装丁というジャンルに対する見識の全てなのである。記事全体が本の装丁をめぐる内容であるのにも関わらず、不用意な一文であると感じた。ベテランの文芸記者らしいけれど、どうしたものか。造本装丁コンクールで賞を受けたこともある、という一文はまさかウィキペディアで調べたわけでもあるまいが。何にしろ、イロイロと物足りない記事であった。
■この問題の一因として、恐らく平出先生は、ご自身からは「装丁家」を自称してはおられないのだろうと思う。昨日書いた「肩書き自称問題」にも通じるハナシで、先生はご自身の肩書きとして「装丁家」を自称することには、多少の照れを抱いて遠慮なさっているのではないか、と(勝手に)思う。だが大学時代、先生に装丁のお話を伺った際、とても嬉しそうにイロイロな話を聞かせて下さった。あれは雨が降っていたある一月の寒い日の午後遅くのことで、場所は人気のない食堂であった。多分先生は私のことなど覚えてはおられまいが、私は覚えている。いつまでだって覚えているだろう。
(※装丁、という表記は記事中のもので統一した)
■近頃、寒さのために唇が青くなっている人、というのをあまり見かけなくなったような気がする。気がするだけで、実際にはいるのだろう。でも、少し前までは、もっと周りに沢山いたように思うのだ。あまりの青さに、その唇の印象だけが残っている人さえいる。まぁつまり、顔は覚えていないという話なのだけれど。唇の青白さだけが鮮明に思い出される人。それらの人々はどういうわけか、全て女性なのである。
小野寺邦彦
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トウキョウ・エントロピー