#068 神様のピンチヒッター 2011.01.27.THU


■『私は実は心理学に通じているのだが、あなたをプロファイリングしてあげよう。喋る際に口角が下がったままだ。猜疑心の強い性格だね』って爪を噛みながら喋る貴様こそ一体何なのだ。

■昨年末、身の回りをイロイロと片付けていると、高校生のときに書いたと思しき映画の脚本や資料などがドサドサと山のように出てきた。その内容に関してはもう全く忘れていて、本当にコレを俺が書いたのか?と疑いたくなるほどの頭の悪さにクラクラする。まあ最近でも芝居のアンケートで頻繁にボロクソ書かれるので、実際には大して変わっていないのやも知れぬ。資料もイロイロと頑張って集めているのだが、何しろネットなどそう普及していなかった時代のことである。今ではアっという間に集めてしまえる程度のものばかり。次々とゴミ袋に放り込んでいく中で、しかしフと、ある資料の一群に目が留まったのだった。それは野球の「ピンチヒッター(代打)」のルールに関する資料であった。そういえば何となく覚えがある。確かにある時期、そんなものを調べていたっけか。しかし一体何のために?

■野球の(まあ他の多くのスポーツもそうであるのだろうけれど)ルールというものは、一見単純な規則のように思えるものでも、本格的に調べてみれば結構複雑かつ厳密に制定されているものである。膨大なインデックスを誇るルールブックの中の一項目だけでも、取り出してみると存外な分量になる。まず有り得ないが、万が一起こる事態に備えての取り決めなども網羅されているためで、そういった項目を眺めているだけでも結構面白いものだ。パラパラと資料を繰っていると、中に赤のラインマーカーで太く囲まれている一文を見つけた。そこには、こうある。

〔席の途中で打者が交代した(代打が出された)場合、打席が完了した時点における打者にその記録が付く。ただし例外として、2ストライクを取られた後に代打として出場した打者がストライクを取られ三振した場合は、2つ目のストライクを取られた打者に三振が付く。〕

■ああ、そうだ。そうだったのだ。かつての、そして少し前までの私は、確かにこういう所から物語のアイディアをデッチあげていた。今見ても感じる。ここには何がしかの鉱脈がある。幾通りものエピソードを引っ張りだすことが出来るだろう。つまり、起点である。この一文を拠り所にして、一本の芝居を書くことだって不可能ではない。事実、芝居を始めた頃の私はそのようにして何本かのシナリオを書いたのだ(蛇足ながらも一応書いておくと、これは勿論形而上的なハナシであって、私が野球のハナシを書くとかそういうことではないですよ、架空畳のお芝居を未見の方)。けれど今、私はそういった発想の方法に、ほとんど魅力を感じない。きっと書き過ぎたのだと思う。食傷してしまったのだ。このような発想の仕方は、驚くほど私にフィットしていた。し過ぎていたのだ。

■旗揚げ当初、異常なハイペースで台本を書き飛ばす中、その方法が発想の手管として自覚されていったことで、私はすっかり飽きてしまった。今は別の方法を考え、試している。やがてその方法にも飽きるのだろう。そんなことを繰り返して気がつけば、とんでもない場所に立っているのかも知れない。しかし、かつて私がこのような方法で書き始めた、ということは覚えておこうと思う。感傷的な意味合いからではなく、むしろそこから遠ざかるための忘備録として。

■寒い寒い夜の道。一人で歩いていると、フと昨年の暮れの、やはりひどく寒かった夜のことを思い出す。知り合ってあまり間のない結構年上の人に不意に誘われ、忘年会で喧しい居酒屋の片隅でひっそりと飲んだ。店に居た時間の9割以上は説教をされていた。別れ際、少し酔ったらしいその人は、私の肩を乱暴に叩き、大きな声で「まだまだだね!君は、全然、まだまだだ!」と言って去っていった。姿が見えなくなるまで、何度もこちらを振り返り、「まだまだだ!」とがなり続けた。嬉しかった。それがとても嬉しかったのだ。そうか、まだまだか。まだまだ出来る。なんだって出来るのだ。

■そんなわけで年が明けていました。2011年。何が変わるというわけでもないのですが、昨年までと同様、まあ気楽に眺めて頂ければ幸いです。せめて気だけは楽に持ちたいものですね。重いものが多すぎますから。ジュラ記も、もうちょっとちゃんと更新できればとは思いますが・・・。キッチリ更新すれば、結構読者がついてくれる、有難い状況にありますので。ひとつ、よろしく。

小野寺邦彦