#067 アンダーグラウンドパレス 2010.12.15.WED


■早朝の山手線、通勤・通学ラッシュの最中でのこと。人ごみの中でのすれ違いざま、女子大生風の若い女性が友人にこう話しているのが聞こえた。

「バイトを辞めて、彼一本に絞ることにしたの!」

果たしてどのような状況だったら『バイト』と『彼』が並列の関係になるのだ?しばらく考えてみたのだが・・・すいません、イヤらしいことしか思いつきませんでした。

■仮に『バイト』を別の言葉に置き換えてみれば、その特異さがより伝わることだろう。

「ご飯を辞めて、彼一本に絞ることにしたの!」
「ダイエットを辞めて、彼一本に絞ることにしたの!」
「洗濯を辞めて、彼一本に絞ることにしたの!」

どんな彼氏だ。

■夕方のこと。音楽をやっている友人からライブの誘いがあったので出掛け、ライブハウスの前までやって来たのだが、中には入らずそのまま帰ってしまった。だって、恐かったのだ。入り口がとても恐かった。

■ライブハウスというのは大音量を出すために、大抵、地下に作られている。中に入るためには階段を下って行かなくてはいけないワケだが、その階段のワキに人が溜まるのである。急角度で設置された狭い階段、それこそ人一人すれ違うにもやや体を傾けてやっとという広さの階段である。その一段目から最終段まで、片側縦一列にズラリと居並ぶ革ジャン、革パン、長髪、モヒカン、金髪、ドレッド、ヒゲ、グラサン、タトゥー有りな猛者の面々が『機関車やえもん』の如くタバコの紫煙をジャブジャブ吐き出しているその脇を、「ちょいと失礼」と通り抜けていく無言の約7秒間というのは、想像するだけで身が竦む。例え自意識過剰と罵られようとも針のムシロに進んで座りたがる者はいないのだ。いたらそいつは変態である。変態め。私は違う。

■シャーマンは化粧や仮面や踊りで聖域を作りだすが、彼らライブハウサーの場合はタトゥーや髭や革ジャンで、文字通りの意味で場にバリアを張っているというわけだ。しかしこれは何も特別なハナシではない。「場所」というのはすべからくそうやって作られるものだ。自分の場所。自分たちだけの場所。躊躇なく立ち入るには特定の資格が必要な場所。だからその「場所」に憧れを抱く者にとって、そこへ自分が足を踏み入れることが出来たときはたまらなく嬉しいものである。同じ嗅覚を持つ「仲間」でなければ入り込むことの出来ないその場所に、自分は今足を踏みいれているのだ、という喜び、優越感。狭き門というのは、半ば閉じられているからこそ入りたくなるわけであって、誰であってもホイホイ入れるのであっては意味がない。魅力がない。そのための結界だ。通行手形を持たないイレギュラーな闖入者は、そのバリアに身を焼かなければ進入を許されない、そうであるべきなのだ。だからまあ、怖いのは仕方ない。仕方ないんだけどなあ。やっぱり怖いよ。

■初めて入った居酒屋。初めて入った喫茶店。一人で入ったオールナイト上映の映画館。古本屋、ライブハウス、ゲームセンター、クラブ、或いはインターネット、そして劇場。惹きつけるもの、それはアンダーグラウンドの魅力だ。学校と家庭以外の、第三の居場所。勿論私だってその空気にモロにやられた口だ。劇場を借りて公演を打ち、初日が空けた翌日の朝。まだ誰もいない客席に一人座って目を閉じるその瞬間が、人生で一番好きな時間だ。・・・でもね。そこは結局、学校でも家庭でもないのだ。数時間、一晩、数日過ぎれば去らなければならない場所なのだ。住む為の場所ではない。訪ねて寄る場所なのだ。帰る場所は、他にある。ライブではモヒカンの兄ちゃんも、明日のバイトでは髪を下ろして束ねるのだ。

■私は、劇場という場所の悪場所としての魅力は十二分に理解しているつもりだし、その臭いが無くなれば、芝居の魅力は消えうせるだろうことも分っている。けれど同時に、恐々とその扉を開けた一見さんをギロリと睨みかえすようなマネはしたくないのだ。終演後、役者やスタッフ、歓談する関係者の知り合いでごった返すロビーを、速足で通り抜けてゆくお客さんの顔も、これ以上見たくはない。どちらかと言えば、私もそうゆうタイプの客だったからだ。では、どうすればいいのだろう。・・・難しいね。取り敢えず、上演後にはロビーに出て挨拶をするべきなのだろう。オペ室に篭城してダメ出しのメモを整理しながら、舞台監督の「完パケです」の声を待っている場合じゃない。どうにもシャイだからね、私は。

■つけっ放しのテレビ。2時間サスペンスドラマの画面からはチープなセリフが無尽蔵に連打される。今、ドアを叩きつけながら女が部屋から出ていった。捨てセリフは「もういい!」だ。そう言われて「もうよく」なったことがないなあ。なんてしょうも無いことを考えながら過ぎる午後。時間はゆっくりと流れている。

小野寺邦彦