#066 縫って縫って縫いまくれ 2010.12.13.MON


■電車内で大森望・豊崎由美著『文学賞メッタ切り!リターンズ』を読んでいたのだった。

■しばらく読み進めてフと本から顔を上げると、朝日新聞の広告が目に留まった。大きな文字でコピーが書いてある。

『「世相を切る」コラム』。

さらには週刊誌の吊り広告である。

『徹底告発!世間にはびこる新卒切り』

よく切るなぁ。人斬り包丁か。世間や世相も現れる度に斬られていては身が持つまい。大体、その斬り傷は誰が縫っているのだ。『「世相を切る」コラム』の隣には『世相を「縫う」コラム』があってもいい。配慮。それが配慮というものじゃないだろうか。そういえば映画『十三人の刺客』で役所広司も言っていた。

「斬って斬って斬りまくれ!」

ならばこちらは「縫って縫って縫いまくれ」だ。ジュラ記は世相を縫うブログです。嘘だけど。大体なんだ、世相を縫うって。どんな内容だ。

■本の整理をしていた一日。フと、むかし本棚一本がまるまる詩集で埋まっていたときのことを思い出す。

■それは例えば金子光春であったり、田村隆一であったり、イェイツであったり、鮎川信夫であったり、エリオットであったり、ヴァレリーであったり、北園克衛であったり、天沢退二郎であったり、黒田三郎であったり、レイナスであったり、吉増剛造であったり、中原中也であったり、タゴールであったり、石川啄木であったり、荒川洋治であったり、平出隆であったり、萩原朔太郎であったり、シラーであったり、ギンズバーグであったり、寺山修司であったり、友部正人であったり、吉岡実であったり、ねじめ正一であったり、上田敏であったり、ランボーであったり、コクトーであったり、大岡信であったり、ボードレールであったり、瀧口修造であったり、リルケであったり、高村光太郎であったり、ワーズワースであったり、ジェイムズ・ジョイスであったりした。まあつまり節操が無かった。

■それらの本はしかしある時期を境に、一冊また一冊と友人に貸し、または贈り、或いは僅かな交通費を捻出するために売り払ったり、いつの間にか無くなってしまったりといった具合で散逸していったのだけれど、何だかそれがとても自然な気がして、新たに買いなおすようなことは一度も無かった。そして手元に残った僅か数冊のうちからまた一冊、今日も人にあげてしまった。それは私がある長い時期、宝物のようにして所有し、読み返した一冊だ。けれど今日手放すことに何の躊躇も無かった。価値が無くなったというわけじゃなく、何だろう。兎に角そうすることがとても自然なことだと思えたのだ。いい手放し方だったと思う。スッキリと別れることができた。もう会うこともないだろう。それでよかった。

■全ての本がこうやって整理できたら何て楽なんだろうと思うが、詩集以外は、どんなに大したことの無い本でも全然手放せないから不思議だ。とても苦労している。何故でしょう。

■年末ですね。けれどあまりそんな気がしない。次にやること、やりたいことをぼんやりと考えてはすぐに眠くなる、そんな日々。

小野寺邦彦