#064 とりまの行方 2010.12.01.WED


■夕方、渋谷から新橋へと向う、山の手線内でのことだ。満員の車内で私の前に立ったギャルギャルしい女子2人組みが、次のようなことを言っていたのだ。

「とりま、カラオケでいいんじゃね」
「うん。じゃあとりま、カラオケで」


■とりま、である。トリマーではない。犬の毛を刈ってどうする、それもカラオケで。とりあえずまあ、だ。そのようなコトバがあることは、知識としては知っている。だが、それを実際に使用している会話に初めてナマで遭遇した際に、誰もが抱くであろう感想を、つい私も抱いたのである。

「ねぎまのことを考えてしまう」

■「とり」の部分は即ち「鳥」を想起させるし、鳥で「ま」といえばそれは焼き鳥のねぎま意外には有り得ないのである。折りしも夕方。一日の勤務を終えたサラリーマンでごった返す車内でのことだ。心に抱くのは行きつけの居酒屋、その看板の灯り。良く冷えたビールの一杯と今日も変わらぬおかみの笑顔、傍らにはアテの焼き鳥がそっと添えられている。よし、今日は焼き鳥にしよう。一本目は、断然ねぎまだ。少女たちの会話を耳にしながら、そう心に誓ったお父さんも一人や二人ではなかったハズだ。居酒屋ののれんを潜り、冷たいお絞りで顔を拭っておもむろに、いつだって彼らは言うのだろう。

「とりあえず、ビール」。

前述の少女たちに言わせれば、それは即ち「とりま、ビール」ということになる。だが今日の彼は少し違った。アタマの中で回り続ける「とりま」と「ねぎま」の文字の所為か、思わず口を滑らせてしまったものである。

「ねぎあえず、ビールで」

■「とりあえず、まあ」が「とりま」であるのなら、「ねぎま」は「ねぎあえず、まあ」ということになる。しかし一体何だ、ねぎあえずって。馬鹿にしているのか。しかし何事も無かったかのように注文は通るだろう。真っ赤になって俯く彼の目の先に、いつもと変わらぬ、良く冷えた生ビールが一杯、事も無げに置かれるハズだ。その一杯を飲み干す頃に、コトリと置かれる小皿の上には一本の串が置かれている。そう、ねぎま、だ。彼は思わずおかみの顔を見上げる。その笑顔は、心なしか、あの電車の中にいた少女の片方に似ている気がしたのだった。(おわり)

■安全点検のために目黒で電車が止まり、10分間身動きが取れなかったのだった。やがて電車が動き出し、私の妄想も終わった。

小野寺邦彦