#063 しなくていいことをするヒト 2010.11.28.SUN


■先々週くらいの日曜日。近所の中学校のグラウンドで行われていた少年野球の練習を見かけて、唐突に思い出したことがある。小学生の頃、週に一度、5・6時間目の枠を使ったクラブ活動というのがあって、私は野球クラブに所属していたのだった。

■年度末だったと思う。或る時隣の学区にある小学校のチームと試合をするという事になり、そのためのレギュラーメンバーが選抜された。そしてレギュラーには背番号が与えられたのだ。背番号!私はそれが欲しくて欲しくて仕方が無かった。だが不幸にも、というか、当然の成り行きというか、私は選抜から洩れ、背番号は与えられなかったのである。しかし当時仲の良かった友人K君はメンバー入りを果たした。彼は内野手(ショート)で背番号は「6」だ。

■ところでこのような話がどうも誰かの母親だかの耳に入ったらしく、背番号を与えられる子とそうでない子がいる、というのは問題があるんじゃないか、というようなクレームが入ったようだ。モンスターですね。モンスター親(オヤ)。誰が親をモンスター呼ばわりされて嬉しいものかと思うが、マア、昔からこういう人は一人か二人いるものです。で、次回のクラブの際、監督を務めた若い女性教師はその旨を我々生徒に説明し、配慮が足りなかったと謝罪した。それではということで、全員に背番号を与えるという。おお、背番号。一度は諦めた背番号が棚からこぼれて張り付くのだ。でかしたモンスター!僕のポケモン!と、喜び勇んで受け取った正方形の布に記されていたのは数字ではなく、犬みたいなケダモノのイラストであった。

「レギュラーメンバーは数字。それ以外のメンバーは、かわいい動物ちゃんにしてみましたあ!」

■・・・何が起こったのか理解できない我々生徒のからっぽの脳髄に体育教師の言葉が空虚に吹き抜けてゆく。「先生、これ・・・?」「あ、オノデラ君のはシロクマですね~。よかったねえ。かわいいでしょ!」オ、オレの背番号・・・シロクマ・・・?霞かかった両目の端、親友Kの背中に眩しい「6」の数字が見える。うん。あいつは「6」。で、オレは「シロクマ」・・・。勿論その年限りで私は野球クラブを辞めた。翌年からは図書館で黙々と本を読むだけの読書クラブに入り、めっきり口数の少ない子供に変わっていったという。

■え、このオハナシの教訓はですね。しなくてもいいことをわざわざしてしまう人が世の中にはいるものだ、ということですね。しなくてもいいというか、してくれるなバカ、って感じですが。頼むからよお!大人しくしといてくれねえかなあ!!という人。

■こういううっとおしい人物とは、現実では絶対に係わり合いになりたくない。しかし物語、殊に芝居においてはある意味、必須のキャラクターであるともいえる。こういう人物を置いておくと、ハナシがずんずんと転がってゆく。最近読んだ幾つかの戯曲の中にも、物語の転換点を担う人物として、この手のキャラクターが必ず設置されていました。モノによっては三人、四人、何なら登場人物全員がそういうキャラ、ということも稀ではないのだ。コメディーは勿論、実はホラーやサスペンスものなんかでもその効用を発揮するありがたいキャラです。いるでしょう、余計なことをしてブっ殺されたりする奴。それによって話が次の局面へと進む。

■戯曲というものは、新しい人物が登場することで場面が次の局面へと展開していくのが基本で、展開に詰まったら新しい登場人物が必要なのである(展開に詰まったときこそが、新しい人物を出すための必然的なタイミングともいえる)。但し、その人物が何故そのような「しなくてもいい」行動をしてしまうのか、という点がないと物語に説得力が生まれないワケです。それを何処かにキチンと用意しておく。その点にこそ、その戯曲の支点がある。キモですね。そこがごまかされていると、どこまでいっても唯の都合のいいハナシなんである。嘘のつき方にも根拠が必要、ということ。で、作家は皆この点で悩むし、そこに趣向を盛り込むことが多いのですね。そこがキチンとしてるとしっかりとフに落ちた作品ができる。

■何故、このような言わずもがなのことを書くのか。それは、私の書く芝居が、この「根拠」の部分をぜんぜんないがしろにして書いていることが分ったからである。わはは。敢えて入れてないのではなく、ただ気付かなかったのである。技術的に未熟だったのである。まあその理由もハッキリしていて、芝居の中に詰め込んでいるエピソードが上演時間に比して多すぎるのだ。とても時間内に全部の風呂敷を畳める分量ではないのである。一言で言えば、まあアマチュアだ。アマチュアと甘ちゃんて似てるな。

■なので次からは敢えて無視していこう。何せ気付いてしまったからな。登場人物の行動理念など、無意識に書き込んでしまった場合にはむしろ削除だ。消してくれる。こうしてまた芝居のカタチはいびつになっていくだろう。それでいいのだ。望むところだ。芝居を作るときに必要なものは答えではなく、問いなのだ。質問だけで構成されている芝居、それが見たい芝居だ。

■今日はデカイことを言った。勘弁してやろう。明日からはまた、謙虚な私だ。

小野寺邦彦