#060 10月のこと(その①) 2010.10.30.SAT


■朝から激しい雨風。台風が来ている。

■夏から秋を飛ばして冬になったと思ったら大型台風。まるで自分の知らない別の国に住んでいるみたいで、とても楽しい。毎年、全然違う気候だったら楽しいだろうなあ。年の初めには一年の季節を読むのが流行る。今年は一年、冬だろうとか。この先10年は雨だぜ、とか。農家は困るだろうが国民性はファンキーになる。日本人の多くが概ね真面目で大人しい性格なのは、きっちり四回、折り目正しくやってくる季節にも原因があるのではないか。一年中春と夏しかなかったら俺は間違いなく馬鹿になる。右手に桜、左手にはスイカだ。馬鹿がまかり通る。

■さて、この10月は大変にのんびりと過ごした。公演後、大きく体調を崩してしまった夏。それを立て直すために一ヶ月、思い切ってほとんど何もしなかった。長い長い一ヶ月だった。驚くほどゆっくりと時間が過ぎた。眠くなったときに眠り、目が覚めるまで眠った。ここ5年間ほど無かったことだ。それでも時間はこぼれるほどにある。本は50冊以上も読めたし、映画も20本観た。小説はピンチョンの「メイスン&ディクスン」、「ヴァイン・ランド」。ヴォネガット「タイタンの妖女」、カルヴィーノ「宿命の交わる城」「不在の騎士」。他に「妻の超然」「「悪」と戦う」「リア家の人々」「アメリカの鳥」などなど。

■映画は何と言っても「十三人の刺客」だ。これは凄い。凄かった。思わず震えてしまったほどだ。何に震えたのかといえば、真っ向から「時代劇」を描いて臆するところがないというところ。はっきりと映画であるというところ。テレビドラマとは全く違った、映画としての作劇術。客を舐めていない。おもねっていない。武士の所作、剣豪の解釈、その情報量。驚くほど多くのことを教えてくれて何より抜群に面白い。これが映画だ。祝福されるべき映画だ。誰に?勿論、観客に、だ。忘れた頃に、また観たい。

■先週末は多摩美での講義。これも面白かった。思った通りのシドロモドロだったが、大勢の人の顔を見ながら話をするというのは大変に刺激的だった。口から出任せばかりベラベラと喋っていたらあっという間に時間になった。まあ半分くらいの学生は寝ていたけどね。それは仕方が無い。授業を始める前にもう10人くらいは寝ていたし。さらに映像やプロジェクターを使うために教室が暗くなる度に次々と眠りに倒れる学生たち。気分は殺し屋である。ふふふ、次は何人眠らせてやろうか。まあせめて安らかに眠れ、学生。命より大事な単位を取るがいい。夢の中でな。

■授業後、質問に来てくれた学生もいた。中で一人の女子学生は、喋り方に全く余裕がなく、マシンガンのように自分の言いたいことを早口でずっと喋り続けていた。何か怒っているかのような口調で、適当に相槌を打つ僕の回答は彼女には不満であるようだった。僕は詰問されているようでドキドキした。それは質問というより、言葉をぶっつける相手を探しているという感じだった。全力の言葉だ。青筋が立って震えているような言葉だ。それが不快だったかと言えばそうことでは全くなく、むしろこの人の言いたいことをずっと聞いていたいとすら思った。この言葉に打たれ続けたいと思った。なんかマゾみたいだな。

■これは勝手な思いなんだけど、恐らくこの人は今までずっと、言いたいことを言う相手がいないまま、溜め込んできたのではないかと思う。大学に入って今、それが初めて炸裂しているのではないか。だから喋って喋って、一通り喋り尽くしてもう喋ることが無くなった後に、彼女から出てくる一言が聞いてみたい。それがきっと、彼女の初めての作品になるハズだ。何故こんな偉そうなことを言うのかと言えば、私自身がまさにそういう学生だったからだ。人を捕まえてまあ本当にしょうもないことをベラベラと喋り捲った。授業にも出ず、出ても眠り、単位を取りこぼし、あのコと口を聞いちゃいけませんと指差されながらも喋り続け、ついに喋ることが無くなったとき、ヒマになってしまって、初めて芝居を作ったのだった。そのときはもう大学も三年になっていたけど。

■そんなこんなで楽しく過ごした10月。そして勿論、芝居もイロイロと観た。中でもちょっと他とは一線を引かねばならない、個人的に大変感慨深い芝居を月末に二本、立て続けに観ることが出来た。これはまた項を別にして書かなければならない。私にとっては特別な作品だ。その芝居とは、遊園地再生事業団「ジャパニーズ・スリーピング 世界でいちばん眠い場所」第三エロチカ「新宿八犬伝 第五巻 犬街の夜」の二本である。
(つづく)

小野寺邦彦