#057 金木犀の頃 2010.10.06.WED


■朝、外へ出ると金木犀の香りが一面に漂っていた。おお、もうすっかり秋であることだなあ、と感慨に耽っていると、登校中の小学校低学年の集団が
「くせー!トイレの臭いだ!」
と叫んで走り去って行った。・・・うん、そうだね・・・。確かに金木犀の香りはトイレの芳香剤に使われます・・・。

■え、メールで質問が来ましたのでお答えしておくと、私はツイッターというのはノートみたいなモノだと思ってます。昔、ゲームセンターに行くとコミュニケーションノートというのがあって、来た人が勝手にイロイロなコトを書いておりました。ゲームの攻略法だったり、雑記だったり、伝言だったり、イラストだったり、ただの落書きだったり。誰かの発言にレスポンスが付いていたり、思わぬ書き込みに火がついて盛り上がったり。掲示板みたいなものでしょうか。ネットが隆盛になるホンのちょっと前のハナシです。その一つ一つにさして意味はないのだけど、一冊、二冊とまとめて読むと中々に面白く、感慨深いものがあったのですね。僕にとってはなんだか、そういうものです。

■と、書いていて思い出したことがあります。上記のように、そのノートは本来、ゲーセンに来たついでに書いていくというものであったのに、常連の中には、そのノートを書く(或いは読む)ためにゲーセンに来る、という逆転型の人が少なからず居たということです。私は典型的な「ゲーセンに来たついでにノートを開いていく」タイプの客で、そのノートのためにわざわざゲーセンに足を運ぶことはありませんでしたが、そういったヘビーユーザーの人々の書き込みを楽しく読んでいました。

■ツイッターもそうですね。私はパソコンを立ち上げたついでだったり、携帯電話でメールを送信したついでにツイッターを見ていますが、ツイッターを書き込むためにパソコンを立ち上げたりはしません。でも私はそういう人達の書き込みを見て、楽しませて貰ってます。そういうところも、何だか似ているな、と思います。白いノートを広げておくと、いろんな人が勝手なことを書いていき、たちまち一冊埋め尽くされてしまう。そういうものだと思っています。それに意味はないけど、ぼんやり眺めていると結構面白いものです。何だか昔こんなSF小説を読んだ気がするけれど。

■しつこいようだが、金木犀。犀の字は動物のサイを表しておるわけです。サイの皮膚のように木肌が硬い、ということなのですね。そろばんの材料などにもなる。私は子供の頃、この話を聞いて地面からサイが生えてその体に花が咲くという図を絵に描いた覚えがある。何だか物凄くスプラッタで残虐的な絵ズラになってしまい、メルヘン気分が血に塗れた。(→参照)思えば私が世間に心を閉ざしたのはどうもあの辺りだったような気がするのだが。伊藤ハムスターさんなら、ステキな絵に仕上げてくれそうだけど。金木サイ。

■秋が来れば思い出す。金木犀は血の記憶。そしてトイレの臭い。

小野寺邦彦