#056 サボタージュ 2010.10.05.TUE


■日本に滞在して10年余、親日家のイギリス人に聞いてみた。

「日本よりイギリスの方がいいなあ、と思うことは?」
「室内でも靴を履いているので、タンスの角に小指をぶつけなくて済むこと」


・・・いくらなんでも何か他にあるだろう。

■「国民の総意」という言葉が、今、一番怖い。

■近ごろ、興味深く思うこと。かつてブログを頻繁に更新していた人がツイッターに流れ、放置されたサイトはすっかり寂れて廃屋と化している。そこへ久々のエントリー更新。するとその内容は決まって

「ブログを止めたワケではありません!/ブログはとても大事な場所です!/また更新をしていきます!/ツイッターとブログでは役割が違うのだから・・・云々」

というものになる。そして大方の予想通り、それ以後、再び更新は滞り、廃屋は荒野へと突き進んで行く。

■面白いと思うのは、皆、ブログを放置してツイッターにばかり書き込んでいることに「罪悪感」を表明しているところだ。別にどちらも自分の意思で始めたワケだし、続けるも終わるも全くの自由なのだ。であるのに「本来はブログ(長文)を書くべき俺がツイッターにばかりうつつを抜かしている」という状況に後ろめたさを感じている。誰に頼まれて書いているわけでもない、好きでやっているものなんだけど。つまりまあ、誰に強制されるでもなく、能動的に自分で始めたものであっても、人は安きに流れる。例え趣味であっても取り敢えず手近なものに落ち着くということだ。それが面白い。

■中学・高校時代に不思議だったのは、部活動で野球部の連中というのは皆、練習を嫌がっていたことだ。彼等は毎日「雨が降らないかな」とか「グラウンド使用中止にならないか」などと言って練習がイヤだイヤだとこぼしていた。別に誰に強制されてやらなければいけない野球ではない。たかが部活動なのだ。そんなにイヤなら止めればいいじゃないかと思うが、でも結局放課後になると皆ちゃんとグラウンドに出て行って練習をするのだ。野球をしたい気持ちと練習をサボリたい気持ち、どちらもきっと本当なのだ。その両方が等しく吊りあっている状態。アンビバレンツ。私にとっては謎だった。今も謎である。

■私は芝居をやっていて本番は楽しいが稽古はイヤだなどと思ったことはない。どっちも等しく好きだし、どちらかと言えば稽古の方が好きだ。芝居の醍醐味は稽古にある。こんなに楽しいものはないのだ。まあでもそれは芝居の現場では私が作家であり演出家だからかもしれない。役者はやっぱり稽古をサボりたいものなのかもしれない。野球の練習が大好きなのは監督なのかもしれない。

■相変わらず、本を読んでいる。何故か数年ぶりに、徹底的に読書に没頭できる精神状態、というかコンディションに突入している。ちょっとした合間にもずいずいと読める。不死の勉強も続けている。Klotho遺伝子やテロメアDNAなどという怪しげなモノにも手を出しつつある。面白いなあ。細胞や遺伝子は本当に面白い。知ったところでどうなるわけでもない感じが堪らない。・・・しかしまあ面白いのだけど、こんなコトが果たして芝居の役に立つのかどうか、経験上、まず役には立つまいと思われる。しかし調べることを止められない。結果、誰にも褒められない。

■タマには芝居を褒めてくれる人がいてもいいじゃないか、と思うこともあるが、まあそもそもこんな作り方をしてるわけだし、無理もないハナシであった。

小野寺邦彦