#055 不死の研究 2010.10.03.SUN


■1日からタバコが大幅に値上げされた。400円、ちょっとした昼食代である。喫煙者は正に今「食うか・吸うか」を問われている訳だ。その結果として「吸う」ことを選択しているわけだから、もうちょっと堂々と吸わせてあげてもいいと思う。別に法を犯しているわけじゃないんだし。そう邪険にすることもない。

■ところで増税に際して、タバコ業界では値上げ以外の可能性は果たして検討されたのだろうか。例えばお値段は据え置きで、タバコの長さを短くするというのはどうだ。うまい棒のように。不況になると定食屋のどんぶり飯の分量が減るように。または円筒の直径を小さくして、ちょっとづつ細長くなっていくとか。キャバ嬢が吸っているような細長いタバコを皆で吸うのだ。そのうち爪楊枝みたいになったりして。まあ、私はタバコは吸わないので所詮人事で好き勝手なことを言います。

■この数日は、不死・不死身についての資料を集め、読んでいる。

■次の芝居を、何となくホラーにしようとぼんやり考えていて、それで単純に「自分が一番怖いと思うコトは何だろう」と考えたところ、それは「死なないこと」なのだった。普通ホラー、スプラッタといえば「死ぬこと(殺されること)」が怖いわけなのだけど、実際は死なないことの方がよっぽど怖い。昔、多分5歳くらいのことだと思う。テレビでアメリカのドラマ「スーパーウーマン」(スーパーマンの女性版)の再放送をやっていて、その主人公は不死身という設定だった。最終回で悪の親玉みたいなのを退治するのだが、そいつは自爆するのである。そして死ぬ直前に主人公に対しておおよそ次のようなことを言うのだ。「お前は世界一不幸な人間だ。だって死ねないんだからな。地球上から全ての人間がいなくなっても、お前だけは死なない。必ず一人ぼっちになるのだ。永久にだ。俺は今、死ぬ。分るか。俺とお前、どちらが幸福か?」

■そのセリフは私にとって「恐怖のはじまり」であった。時間に終わりはない。宇宙が終わったとしても、時間に終わりはない。そういったことに気付かされえてしまったのだ。死んだ後も意識があったとしたら、と思うと気が触れるほど恐ろしかった。自分が死んだとしても世界は続くのだ。永久にだ。なんて事だ。生まれてきてしまったことを本気で後悔した。毎日、そのことを考えては恐ろしくて泣いていた。その不安は12歳くらいまでずっと続き、13歳になったらさっぱり消えてしまった。何故だかは今でも分らない。

■まあ、何にせよ死ぬことより、死なないことの方がよっぽど怖い、と思うわけである。そのことは例えば手塚治の「火の鳥」(私の小学生時代の愛読書)なんかでもしつこい程追求されている。火の鳥の生き血を飲んで不死になった人間はまあヒドイ苦悩の中に放り込まれてしまうんである。牧村君とかね。例えば「未来編」では、人類滅亡の日に、人々は何とか死を免れようと「不死」を取り合うのだが、やがてそれを手に入れた主人公は、たった一人世界に取り残されたことに気付いてしまい、今度は一転して「死」を求めることになるという構図だ。このプロットはシンプルだが卓抜である。私もこれに倣って「死」を求め会う人々の群像劇を書きたいと思っている。思っているだけで、本当に書くかどうかは分らないし、果たしてそれを人が見て「ホラー」だと思うかどうかも分らないのだけれど。

小野寺邦彦