#054 QアンドA 2010.10.02.SAT


■あっという間の一ヶ月、早10月である。ついこの前までアチアチと喘いでいたのに、大雨が降った一日でくるりと季節が変わってしまった。たちまちの晩秋の気配である。時間は水のように低いところへするすると流れる。

■九月中は特にナニをするということもなく、ジっと大人しくしていた。暑くて動き回る元気もないので本ばかりやたらと読んだ。穏やかな日々であった。本はインタビュー集のようなものばかりを集中的に15冊ほど読んだ。インタビューの文体、というものに唐突に興味がわいたからだが、これが面白かった。真剣勝負のインタビューというのは、読んでいてもその緊張感などが伝わってきて相当面白い。作家なんかへのインタビューだと作家は「ホンネなんか言いいませんよ」という気配が濃厚であり、インタビュアーはそこを巧みに切り崩していこうとする。巨大な岸壁をじわじわと攻略していくかのような面白さ。だから作家が「うっかり」喋ってしまっているインタビューなどはインタビュアーの腕がいい、ということなのですね。こういうのは本当に面白いです。ピリピリした空気が伝わってきて、おお「プロの現場」であることだなあ、と感心してしまう。

■一方で、インタビュアーが自分語りをはじめたり、妙に馴れ馴れしかったり(音楽誌に多いです、何故か)、相手を必要以上に持ち上げてたりする、なあなあの宣伝めいたインタビューというのは退屈だし、妙に腹の立つものである。御用記事、提灯インタビューである。こういうのはビュンビュン飛ばす。

■しかしまあ当然の話なのだけど、数冊も読むと気付くのが、インタビューの世界にもやはり「常套句」というか「おきまりの質問」「及びそれへの回答」というのがあるのですね。私は「常套句問題」には大変に厳しいので、インタビュー分野にも鋭く切り込んでいく。

■野生のインタビュアーを好き勝手に野に放っておくと、やがて奴らは決まってこう聞いてくるのである。

「あなたにとって〇〇とは何ですか」

野球選手には「あなたにとって野球とは何ですか」。画家には「あなたにとって絵とは何ですか」。音楽家には「あなたにとって音楽とは」、建築家には「家とは」、マンガ家には「マンガとは」。小説化には「小説とは」。・・・大体、最後の質問にこれを持ってきて「締め」とする場合が多いようである。一丁上がりというワケだ。

■しかし正直言って、最後にこれを聞く人は相当にバカなのではないか、と思う。だってそうでしょう。今まで何のためにインタビューをしてきたのだ。一言では言い尽くすことができないアレやコレ、または本人でさえ意識していないようなことを、受け答えやエピソードからじわじわと炙り出していくのがあんたの仕事ではないのか。さんざんインタビューをした後で、それを「じゃあ今したハナシを一言でまとめて下さい」ってそれはもうバカでしょう。何を考えておるのか。思考停止の質問である。質問のための質問である。

■ところがまあ、インタビュー受ける方も慣れちゃってるんだか、想定してるんだか、簡単にホイホイと答えるんである。その答の方もしっかり常套化していて、曰く、「僕の全てです」「生涯、離れられないパートナーかな」「運命だと思っています」。いるか?このくだり。しゃらくさいんである。読んでられないんである。一番の問題は、この一連の受け答えの全てが用意されたもので、スリリングさのカケラもないという点にあるのだ。そこでこんなスリリングなインタビューはどうだろうか。インタビューを受けているのは苦みばしった50代の独身作家、インタビュアーは30代半ば、妙齢の女性である。

Q 「本日は、お忙しい中、有難うございました。それでは最後にもう一つだけ」
A 「はい」(来たな・・・)
Q 「あなたにとって、私は何ですか?
A 「はいはい、人生の・・・え・・・何?
Q 「あなたにとって、私は何ですか?」
A 「・・・え・・・あの・・・」
Q 「あなたにとって、私の存在は、一体何なんですか?」
A 「その・・・」
Q 「・・・」
A 「・・・・・・人生の・・・全てです


結婚、おめでとう。

小野寺邦彦