#053 混乱したまま書く 2010.08.30.MON


■スーパーで買い物。近所の中学校のジャージを身につけた女子数人組が惣菜のコーナーでキャイキャイと騒いでいる。皆でお金を出し合って何か買おうとしているようだ。所持金で何がどれだけ買えるか、最も効果的な組み合わせは何か、議論をしている。

「コロッケパンと、シューマイにしようよ」
「水だったら3本買える値段だね」
「おにぎりと唐揚げは?」
「残ったお金で水が一本買えるね」
「シューマイと唐揚げとチョコレートで完璧じゃない?」
「でも水が買えないよ!」

あらゆる価値を水に換算する女子。一人だけ、水が通貨として通用する国に住んでいる人のようだ。暑いからなあ。熱帯の価値観に染まっているのかもしれない。

■昨日のエントリについて、何人かの方からメールを貰った。直ぐ返信しようと思ったが、思うように文章が書けなかった。作品の佇まい、などと書いたがそれを論理的に説明することが出来なかった。イロイロと試行錯誤もし、夜通し書いて、何とか書き上げたのだけど、送信はしないでおいた。朝、読み直してみたら、思ったとおりの感傷的な気持ち悪い文章だったので、消去した。う~ん未熟。未熟だなあ。迂闊なことは書けないと思う。でもまあ迂闊な私だ。仕方がない。そういうブログです。日々、推敲。

■書けないメールを書きながらフと思ったのだが、私はあまり物事を批判的、或いは批評的に考えるということをしないな、と思った。本に書いてあることなど、結構鵜呑みにしてしまうし、自分の価値観に照らして賛成できないことでも、まあそういう考えもあるか、と思ってしまう。影響を受けやすい。私が喋ったり考えたりしていることは、大抵その直前に読んでいた本や話していた人や見ていたテレビなんかの影響を受けている。丸々パクって喋っていることもしょっちゅうである。人の言ったことをいかにも自分で考えたかのようにいう、そんなことばかり上手くなってしまった気がする。

■これではいけない。作品を作る人間としてはいかにもいけないのじゃないか。いけないはずだ。いけないに決まった。今日からは批判する私だ。もりもり批判する。ひっかかりを感じて生きていこうと思う。批判してやるから覚悟するがいい。なんだそれは。

■日々の中で許せないと思うこと、それは違うだろうと思うことは勿論ある。でもそれを作品にしようとしても上手くない。何度か試みたが、マア失敗した。私はそういう風には書けないのだと思う。疑問や怒りはそんなに簡単に発散したり、昇華したりは出来ない。そんなにサッパリと処理できない。膿のように体にじゅくじゅくと静かに溜まっていき、蓄積してゆくものだと思う。じわりじわりと染み出してくるものだと思う。それが文体とか、筆跡とか、そういうものになってゆくのではないだろうか。正直、まだよく分らない。

■分らないことばかり書いてしまった。書きながら考える私だ。書けば何か分ることもあるかと思ったが、ダメだった。そんなこともある。

小野寺邦彦