#042 私たちの望むものは  2010.05.08.SAT


■三月からしばらく放置してしまった当「ジュラ記」だが、書き始めたら、何だか楽しくなってきた。ふつふつと、ブログを更新する情熱が蘇って来たのだ。調べてみれば昨日のエントリーは思いがけず沢山の人が読んでくれたようだし。幸せだ。おお、情熱。情熱が還ってくる。

■この楽しさはなんだろう、と考えた。つまるところそれは「望まれていないのに書く」ということに尽きる。決して誰も望んでいないのに、書く。書きたいから書くのだ。芝居も同じだ。誰も我々に「お芝居して下さい」なんて頼む人はいないのであって、好きでやっておるわけです。それを観に来てくれる人がいるということが素晴らしいのだ。決して「人のため」などではない。おためごかしだけはしてはならない。好きに書きます。是非見に来て下さい。

■↑という枕は、まあやっぱり伏線なのですね。少し前の話。架空畳のアドレスに一通、メールが届いた。神奈川県の某高校で演劇部の部長をしているという女の子からで、内容はと言えば何と!私に戯曲を書いて欲しい、という執筆依頼だったのです。2月の架空畳の公演を観てくれたらしい。まさか他人様から執筆依頼などというものを頂くなんぞ思いも寄らずドキドキしたのだが、メールを読み進める内に、顔面が凍り付いてしまった。60分の上演台本、それも完全新作を、2週間で書いて欲しい、という内容だったのだ。

■無理だ。無理だよ。それは無理だ。どう転んでも、二週間では絶対に書けないし、いや、そもそも高校演劇の台本が今の自分に書けるとは思えない。申し訳ないけれども、お断りするしかなかった。望まれた仕事を断るのは辛かった。物凄く長いメールを書いた。ワケが分らなくなるほど長いメールだ。すると直ぐに返信があり、物凄く簡潔な内容が書いてあった。執筆は駄目でも一度話を聞いて欲しい、と。もうこれ以上、一行だってメールを書く余力はナイ。会うことにした。

■待ち合わせの場所には、顧問と名乗る若い男の先生が同伴してやって来た。聞けば僕より一つだけ年齢が上だそうだ。それがまあ良く喋る先生だった。大学生の頃に小劇場の役者をやっていたらしい。本当に良く喋る。僕が小劇場の主宰者と聞いて、どうも意気込んでやって来たらしい。難しい演劇論や用語をバンバン振ってきて、僕がちんぷんかんぷんで答えられないでいると、大変満足したようだった。僕が断ってしまった上演戯曲も、自分が書くことになるだろう、と彼は言った。

■猛烈に喋りまくる先生の隣で、部長さんは終始俯いたままでほとんど何も喋らなかった。喋ることが出来なかった、という感じだった。一しきり喋り終わると、彼がトイレに行くと言って席を外した。ほんの一瞬、二人きりになったその時、部長さんはポツリと一言、「恥ずかしいです」と言った。そして「先生の書く台本は、絶対にやりたくなかったんです。でも、もう駄目です」とも。彼女との会話は、それで終わりだった。

■望まれない芝居を書く人間と、望まれた芝居が書けない人間がいたという、そういうお話。

■夏のような日差しが続く毎日。昨日はパラパラと、小雨も降って蒸し暑くなった。夜、湿気から逃れるために喫茶店に入った。隣のテーブルで喋っている若い男が何度も「日本国、日本国」と繰り返し言っていたのを、ぼんやりと聞いていた。ニホンコク、ニホンコク・・・それはまるで外国語のような響きだな、と思った。

小野寺邦彦