■夕方の帰り道。駅前で、募金を訴えかける子供たちの前を通り過ぎた。
■きっと直前か、あるいは前日に集められ、練習をして来たのだろう。改札口から出てくる人々に向かって、大声を揃える。大きく息を吸って、バズーカ砲のように声を吐き出す。ちょっとバツが悪そうに、足早に通り過ぎて行く人々。その背中に追い討ちを掛けるように、また子供たちの声。一言一句変わらない文句を何度も、何度も繰り返す。
■世界各国の恵まれない人や地域への共同募金、難病手術費用、被災地への義援金、理由はイロイロある。その理念と行為自体に文句はナイし、立派なコトだとも思う。ただ問題は、そのための手段だ。何故大人が言わないのか?どうして子供を使うのか。
■幼い頃、私は作文が大変に得意であった。評価は常に最高点であり、先生に褒められ、授業中、何度も皆の前で朗読をさせられた。地域の作文コンクールなどでもよく入賞し、他の優秀作と一緒に本にまとめられたりもした。とにかく私の作文は、大人にウケが良く、褒めれられ、時には感動さえされたはずだ。それは当たり前のことだった。だって私は大人に褒められるための作文を書いていたのだから。
■私は、いつだって大人の顔色を伺っている子供だった。良いコトとは、大人が喜ぶことだった。だから大人の機微に敏感になった。
■私にとって作文とは、「思ったこと」や「感動した出来事」を「自分の言葉で書く」モノではなく、「大人が求めている正解を目指して書く」モノだった。そして私の正解率は、極めて高かったというわけだ。褒められるのでどんどん書いた。規定の分量の2倍、3倍と書くこともザラだった。桝目に埋められた文字は、けれど何一つ私の言葉などではなかった。模式的で定型的な「子供らしさ」が並べたてられ、終りにちょっとテクニックを使ってヒネってあったりする。「巧いでしょう」とでも言いたげな、マアつまり今見れば小賢しく、妙にひね媚びて気持ちの悪い文章だ。けれど私は、このようにして書くことを覚えたのだ。それは忘れてはいない。
■そんなわけで私は子供に同情を訴えられても、絶対に心は動かない。芝居や映画を観ても、大人のフリをしたコドモのセリフにはピンとこない。心動かされるのは、もっと得体の知れない、何かだ。
小野寺邦彦
■きっと直前か、あるいは前日に集められ、練習をして来たのだろう。改札口から出てくる人々に向かって、大声を揃える。大きく息を吸って、バズーカ砲のように声を吐き出す。ちょっとバツが悪そうに、足早に通り過ぎて行く人々。その背中に追い討ちを掛けるように、また子供たちの声。一言一句変わらない文句を何度も、何度も繰り返す。
■世界各国の恵まれない人や地域への共同募金、難病手術費用、被災地への義援金、理由はイロイロある。その理念と行為自体に文句はナイし、立派なコトだとも思う。ただ問題は、そのための手段だ。何故大人が言わないのか?どうして子供を使うのか。
■幼い頃、私は作文が大変に得意であった。評価は常に最高点であり、先生に褒められ、授業中、何度も皆の前で朗読をさせられた。地域の作文コンクールなどでもよく入賞し、他の優秀作と一緒に本にまとめられたりもした。とにかく私の作文は、大人にウケが良く、褒めれられ、時には感動さえされたはずだ。それは当たり前のことだった。だって私は大人に褒められるための作文を書いていたのだから。
■私は、いつだって大人の顔色を伺っている子供だった。良いコトとは、大人が喜ぶことだった。だから大人の機微に敏感になった。
■私にとって作文とは、「思ったこと」や「感動した出来事」を「自分の言葉で書く」モノではなく、「大人が求めている正解を目指して書く」モノだった。そして私の正解率は、極めて高かったというわけだ。褒められるのでどんどん書いた。規定の分量の2倍、3倍と書くこともザラだった。桝目に埋められた文字は、けれど何一つ私の言葉などではなかった。模式的で定型的な「子供らしさ」が並べたてられ、終りにちょっとテクニックを使ってヒネってあったりする。「巧いでしょう」とでも言いたげな、マアつまり今見れば小賢しく、妙にひね媚びて気持ちの悪い文章だ。けれど私は、このようにして書くことを覚えたのだ。それは忘れてはいない。
■そんなわけで私は子供に同情を訴えられても、絶対に心は動かない。芝居や映画を観ても、大人のフリをしたコドモのセリフにはピンとこない。心動かされるのは、もっと得体の知れない、何かだ。
小野寺邦彦