#025 ○○系 2009.9.05 SAT
■とある駅ビルの中にいたのだった。 そこでフト目に付いたのは女性用の化粧品店の店先に掲げられていた、次のようなキャッチ・コピーだ。「あなたは小悪魔系?それとも女神系?」
■瞬時に私が考えのは「小悪魔」と「女神」では対立項として成立しない、ということである。「小悪魔」には「小女神」、或いは「女神」に対しては「悪魔」を対立項として置くべきではないか。
■でもなあ。コメガミって間抜けだな。コメカミみたいだし。早口コトバのニュアンスもある。コメムギコメガミコメタマゴ。何にせよあまり女性が憧れる形容とは思えない。何かバカにされたような気もするし。コメガミ。だからといって「悪魔系」というのもどうだ。デーモニッシュ。キュート、魅惑的といった感じは全然ナイ。「小悪魔系」とは全く違う。サバト的な、本格的な匂いのする言葉だ。呪い、とかそういうことを連想するな、「悪魔系」は。
■思うに、悪魔というのはマー一般的にマイナスイメージなわけだけれども、そこに「小」を付ける事でそのマイナス項を緩和しているというか。ヤクザじゃないけどちょっと不良、みたいな。コチコチの優等生よりはちょっとワルイ奴の方がモテたりする、ということなのだと思うけど、例えばこれがちょっとワルイ奴なんてものではなく、バリバリの犯罪者とかだったら、モテるとかそういう問題では無くなってくるワケでしょう。そのスジの人、すなわち本格な人になってしまう。ジャンルが違う。「シャレにならねー」というやつである。「小悪魔的」というのは、そこまでではないですよ、でもワルいテイスト(この場合は蠱惑的、ということかな)はありますよ、ということなんだろうな。
■対して「女神系」だ。こっちは上の例えでいうところの「優等生」イメージでしょう。ゴージャスな感じも含むのか。高嶺の花的な。本来マイナスイメージであるところの「悪魔」に「小」を付けることによって、プラスの方向へ針を動かした「小悪魔系」に対して、こちらはアタマっからプラスのイメージしかないのだから、やっぱり「小」をつけるのは相応しくないのだな。
■でもそれって「小悪魔系」に比べてひどく単純なイメージではないか。「女神様のようにキレイ」というのはつまるところ幼い女の子が「お姫様になりたい」とか「ウエディングドレスを来たお嫁さんに憧れる」といった構図と同じことだ。つまりまあ、キレイに着飾りたい、ということであって、あまりにもクラシカルな、有体に言ってしまえばひどく普通のことではないか。そういう「フツーのキレイさ」に対して物足りない思いを、あるいは疑いを持った者たちの中から、カウンター的な概念として現れたのであろう「小悪魔系」に比べると、イメージの喚起力というのか。パワーで圧倒的に負けている。「女神系」と「小悪魔系」そのどちらかを自身のファッションとして選択するとき、より決断力(自覚的な選択)を必要とされるのはどちらの方かを考えてみれば、そのパワーの差は圧倒的であると言えよう。「女神系」では「小悪魔系」の相手は出来まい。役者不足、というやつだ。
■で、「女神系」に変わる「小悪魔系」の対立項として私が考えついたのが、「堕天系」である。もとは天使だった者が神の怒りに触れ、天界を追放された結果、人間や悪魔の身分に堕とされたのが堕天使。一見、「悪魔」と同じようにも感じるだろうが、生来の悪魔と異なり、元は高貴な天使であった、というのが堕天系のミソである。マー平たく言ってしまえば昼は公務員、夜は娼婦とか、教師なのに淫乱とかそういうことですね。ギャップを魅力として楽しむ、ト。こう書いてしまうと凡庸だが、何、「小悪魔」だってその言葉自体は大昔から存在している。キモはその既存の概念をファッションのコンセプトとして取り込むこと自体にあるわけである。ま、言ったモン勝ちとも言いますな。どうでしょうか、堕天系。女神系よりは自覚的なコンセプトだと思うのだが。でもなんかビジュアル系のバンドなんかで使われてそうなコトバではあるな。
■そんなことを数時間、ボーっと考えていた。
■この日誌を読んでくれているという方から、「暇なんですか?」というメールを頂いた。暇なんだろうか、俺は。
小野寺邦彦
ラベル:
フロム/失踪者