#019 死角へと向かうべし 2009.7.30 THU


■ここのところ曇りがちだった空が、今日は日中、晴れ間を見せた。クソ暑いが、気分は悪くなかったのである。新宿の路上で職務質問にあうまでは。

■職質に来る警官は二人組である。モーこれが必ず二人組なんである。
一人が質問をしている間に、もう一人は何かしている。
何かしているんだけど、それがナニをしているのか、良く分からない。こちらの死角へ死角へと動くのである。
質問してくる警官にこちらが応対している内に、スルスルと訓練された動きで、私の周りを動き回り、ナニかをしているのである。
これはミスディレクションを誘う手品なんかと同じ手管で、質問してくる警官はオトリなのである。被質問者がその警官Aに注意を払っている間に、死角へと動く警官Bがナニかを調べている。
プロである。
プロの動き。プロのコンビネーション。
ノウハウがあり、訓練されたフォーメーション。恐ろしいことである。脅威である。
しかもそれは向こうから来るのだ。
権力がフォーメーションを組んで強襲してくるのである。それに抗う技術はおろか、何の心の準備すら無い我々一般人が敵うべくもない相手である。
しどろもどろに応対する内に、自分は本当はナニを調べられたのかすら分からぬままに何かを調べられてしまう。

■で、私は考える。これは舞台の動きに活かせないかな。
考えてみたら、舞台だって相当コワイ。劇場と呼ばれる小屋に入って椅子に座っていたら、明かりがつき、目の前に現れた人間がイキナリ大声で喋り始め、動き回ったり、倒れたり、時には死んだりするのである。こちらはもうただそれを抗う術なく、黙って、座って見ているしかない。 極めて一方的な関係である。

■そこでこう言うことが出来るだろう。即ち、強襲するものはいつだって権力的である。

■であるならば、役者とは、ナニカの影(それはセリフであり、照明であり、音楽であり、物語であったりするだろう)に隠れながら観客の死角へ死角へと移動し続けるヒトでなくてはならない。
それは見せるものと見せないものを明確に知っていなければならないということである。
役者だけが知っている。観客は知らない、自分が何をされたのかさえ気づかない。
その違和感、シコリこそが一方的な暴力の傷跡となってノチノチ残るのではないか。

■暑いと、漠然としたことを考えてしまう。

■ところでお察しの通り、僕は職務質問の常連である。夜中ワケもなく都心をフラフラしているという所為もあるが、マー年に3,4回は喰らいます。
一言で言って、風貌怪異な僕です。

小野寺邦彦