#016 おしまい(その1) 2009.7.19 SUN


■日中、30℃を越える真夏日が続く。
つけっぱなしのテレビからは、涼を呼ぶ話題が流れてくる。

■ある水族館では、アザラシに2メートルの氷の塔をプレゼント。
ある動物園では、カワウソにウナギをプレゼント。
甘やかしすぎである。
産地偽装のアオリを食って今やトンでもなく高値になってしまったウナギである。
人間様でさえ手の出ないそのウナギを、あろうことか畜生にくれてやるとは。
タマちゃんといい、何故かわが国は海獣に甘い。
私は鯨を捕縛し、喰らう山口県は下関市にルーツを持つ男である。海獣には厳しい。断固とした態度を取る。

■さて、舞台のこと。
今回の公演、アンケートの中で最も指摘された点は、役者の動きに関して。
セリフの情報量に対して、動きのそれが全く釣り合っていない、というもの。
まさに正鵠を射た指摘です。
もっとバランスを取ったらどうか、すなわちセリフの量を減らしてもっと役者が動ける時間を作ったらどうか、という指摘もあった。

■台本を準備する段階で実は僕も何回かそう思ったのです。思ったけど、結局やめた。やめたどころか逆噴射で、いつもの1.3倍くらいにセリフ量を増やしてしまった。台本を見れば分かるけど、今回、一行に収まっているセリフはほとんどない。掛け合いのセリフでもほとんどがニ行、三行に渡っていて、ヒドイものになると四,五行にもなる。ハイ、これは異常です。

■負荷をかけたい、と思ったのです。強力な負荷。
喋らなければならない圧倒的なセリフの量がまずあり、それは役者にとっての不自由な部分、制約である。作家であり、演出家でも有る僕は役者に強力なシバリをまず与えたかった。その膨大なシバリの中で、どうしたらそこから自由になれるのか、その方向を模索したかったのです。適当に隙間を与えたぬるいシバリの中から抜け出す姿なんて見たくないな、と。それよりはむしろギッチギチに縛った中から、脱出する方法を見たかったのです。
せめぎあいです。僕と、役者との勝負。
僕は縛る人。役者は、そこから抜け出す人。

■高山トレーニングというやつがあるでしょう。通常より酸素の薄い、高度何千メートルかの山の上でトレーニングをする。最初はすごく苦しいけれど、その環境に慣れてゆく内に、心肺機能が鍛えられてゆき、平地に戻ったときには物凄く楽に体を動かすことが出来るようになっている。
僕が今回やりたかったことはそういうことです。大変だけれど、まず膨大なセリフという負荷を負ってもらう。そしてそれが普通だと感じられるまでにして欲しい。その環境の中でこそ、初めて架空畳の動きは現れると思ったのです。
その意味で、今回の舞台ではセリフ量の上限を出してみたかった。 いきなり、高度MAXの地点に連れていきたかったのです。

(つづきます)

小野寺邦彦