■今週は自分の都合で大分稽古を潰してしまった。丁度先週、役者の集まりが悪いことにぶつくさ言っていたらこの始末である。やっぱり人のことは言えないな。自戒を込めて。
稽古をしないと調子が悪いのだ。来週はもりもりと進める。
■野球のテレビ中継をつけていたのだった。
野球中継の放送席にはアナウンサーの隣に解説者と呼ばれる、まあ元プロ野球選手や監督などが座り、プレーに対しての「解説」を施すのがお決まりなわけですが、この解説者のですね、言葉でモノスゴイのがあった。
アナ「おっとここで原監督、好調のピッチャーを変えますね。これは?」
解説「ええ。まあ監督も、なんか考えたんでしょう」
「なんか考えたんでしょう」
これが解説だろうか。何だ、お前の仕事、すっげえ楽そうなのな!俺にもできそうだ。譲ってくれないか。また、こんなのもあった。
解説「ここはホームランが最高ですが、ヒットでも2塁ランナーは帰ってきますからね。ただし、内野ゴロと三振だけはしてはいけません」
てそんなこと昨日野球始めた子供でも分かるんだよバカ。思わず取り乱すナイター中継の夜である。
■しかし改めて意識的に聞いてみると、この「解説者」たちの喋る言葉のテキトーなことといったらないな。ほとんど骨髄反射、というか常套句を繋げているだけである。自分の言葉に対する疑いというものが微塵もナイ。
例えば調子の悪いピッチャーをして「ピリっとしない」と言うが、「バッターがピリっとしない」とは言わないのである。
若しくはボールの内角低めをインロー、内角高めはインハイ、外角低目をアウトローというが、外角高目をアウトハイとは言わないのである。外角高めは外角高めだ。
なんでだろうか。解説者よ、解説してくれ。
■常套句というのはそういうものなんだけれど、ほとんどの場合意味はないのである。そういうことになっているのだからそう言うのだ。言葉は記号だ。通じれば良いのだ。アマチュアならば、若しくは日常生活でならばそれでもいい。
だが仮にもその一言に料金が発生し、メシを食うプロの言葉がそれでいいだろうか。いいわけがない。だがそれがまかり通る。まあそれは解説者という仕事が、現場を引退したプレーヤーの再就職先、もっと言えば要するに天下り先とでもいったものなのだからだろうな。名誉職、というか老後のごほうび、というか。つまりプロの解説、などというモノを誰も期待しているわけではナイ。
だから視聴者の誰も解説者の言うことなど聞いてはいない。あれは、野球中継を点けると流れている風の音のようなモノとして、聞き流している。だがその毒にも薬にもならないどーでもいい言葉が日々撒き散らされ、料金が発生しているということは考えておかなければならない問題だ。いやホント、問題ですよ。
■なんてことをブチブチと言いながらも、台本はついに、というかやっと、というか三分の二までが書けた。いよいよ追い込みか。しかし締め切りも目前だ。何とかなるだろうか。何とかしなくてはいけない。
小野寺邦彦
稽古をしないと調子が悪いのだ。来週はもりもりと進める。
■野球のテレビ中継をつけていたのだった。
野球中継の放送席にはアナウンサーの隣に解説者と呼ばれる、まあ元プロ野球選手や監督などが座り、プレーに対しての「解説」を施すのがお決まりなわけですが、この解説者のですね、言葉でモノスゴイのがあった。
アナ「おっとここで原監督、好調のピッチャーを変えますね。これは?」
解説「ええ。まあ監督も、なんか考えたんでしょう」
「なんか考えたんでしょう」
これが解説だろうか。何だ、お前の仕事、すっげえ楽そうなのな!俺にもできそうだ。譲ってくれないか。また、こんなのもあった。
解説「ここはホームランが最高ですが、ヒットでも2塁ランナーは帰ってきますからね。ただし、内野ゴロと三振だけはしてはいけません」
てそんなこと昨日野球始めた子供でも分かるんだよバカ。思わず取り乱すナイター中継の夜である。
■しかし改めて意識的に聞いてみると、この「解説者」たちの喋る言葉のテキトーなことといったらないな。ほとんど骨髄反射、というか常套句を繋げているだけである。自分の言葉に対する疑いというものが微塵もナイ。
例えば調子の悪いピッチャーをして「ピリっとしない」と言うが、「バッターがピリっとしない」とは言わないのである。
若しくはボールの内角低めをインロー、内角高めはインハイ、外角低目をアウトローというが、外角高目をアウトハイとは言わないのである。外角高めは外角高めだ。
なんでだろうか。解説者よ、解説してくれ。
■常套句というのはそういうものなんだけれど、ほとんどの場合意味はないのである。そういうことになっているのだからそう言うのだ。言葉は記号だ。通じれば良いのだ。アマチュアならば、若しくは日常生活でならばそれでもいい。
だが仮にもその一言に料金が発生し、メシを食うプロの言葉がそれでいいだろうか。いいわけがない。だがそれがまかり通る。まあそれは解説者という仕事が、現場を引退したプレーヤーの再就職先、もっと言えば要するに天下り先とでもいったものなのだからだろうな。名誉職、というか老後のごほうび、というか。つまりプロの解説、などというモノを誰も期待しているわけではナイ。
だから視聴者の誰も解説者の言うことなど聞いてはいない。あれは、野球中継を点けると流れている風の音のようなモノとして、聞き流している。だがその毒にも薬にもならないどーでもいい言葉が日々撒き散らされ、料金が発生しているということは考えておかなければならない問題だ。いやホント、問題ですよ。
■なんてことをブチブチと言いながらも、台本はついに、というかやっと、というか三分の二までが書けた。いよいよ追い込みか。しかし締め切りも目前だ。何とかなるだろうか。何とかしなくてはいけない。
小野寺邦彦