■子守をする。
■7歳になるという、知人の子供である。自分より2つばかり年上の人間に7歳の子供がいるというのもモノスゴイことだ。
■相撲を取る。私の全勝である。5年経ったらまた来い、と言ってやった。 寝かしつける前にプリンを与えると、半分くらい食べたところでフーとため息をついて、 「俺の一日もこれで終わりか・・・」と呟いたのには笑った、笑った。
■子供は一体、どこからコトバを拾ってくるのか。
■思えば、私自身が、子供の頃はよくそう言われた。妙にませたクチを聞くガキだった。 「慮(おもんばか)る」とか言い出しかねない小学生だった。 それらのコトバの殆どはマンガで覚えたものだ。
■マンガでコトバを覚え、マンガによって知識を蓄えたので、かなりばかな子供であった。 体系的な学習で得た知識ではないので、知っていることと知らないことに極端な差があり、 そして知っていることははまるで役に立たないことばかりなのであった。
■そんなわけで今も役に立たないコトバばかりを使って劇を書いている。
■しかし役者というのは、本当にありがたい。書く作業は孤独だ。 何の役にも立たないコトバでも、転げまわりながら書く。 のた打ち回って書く。気が滅入ってくる。息も絶え絶えになる。 ところがヨロヨロと稽古場に向かい、台本を渡し、役者に読んで貰った瞬間、ぱっと元気になる。 稽古場で私は生き生きしている。稽古がしたいから書く。役者が書かせてくれる。 稽古の無い状態での執筆は、オレには無理だよ。到底ムリだ。
■といったわけで関係各位に多大な迷惑をかけつつも、台本は上がった。まだまだ時間はある。じっくりと作る。
小野寺邦彦